すむシェフのウエブログ


by sumuchef

おおきぃね~♪

初めて動画を登録してみました。



最近、いろんなことを覚えて、楽しませてもらってます。
・・・しかし、この歌なんだろう。私、教えてないんだけどなぁ。。。(って言うか知らないし。)^_^;

写真は、先日近郊のSan Marcos Riverにお友達の家族とTubingに行ったときのもの。Tubeをロープで繋いで、ゆるやかな流れに揺られ、ビール(子供たちはジュース)を片手にのんびり川下り。太陽と風と水音を楽しみながら、1時間ほど下ります。

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# by sumuchef | 2008-08-26 04:53

I made it!

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今年の私の課題のひとつ。

『娘のトイレトレーニング(おむつはずし)』が、この週末を持ってほぼ完了しましたっ!

長かったなぁ。。。ここまで。と書いてみたものの、実際にかかったのは、なんと半日足らず。(その後、アクシデントはありますが)今朝は、三日目にして、大きいほう(食事中の方、ごめんなさい)もできるようになっちゃいました!
普通、おしっこができても、そこから(大) に至るまでの道のりが結構長かったりするらしいので、これは、もぉ、ほんとに、(今日は偶然だったかもしれないが)いやー、よかった。ほんとに、うれしいです。

ということで、今日は「トイレトレーニングから考えたこと」。

今月末には3歳になる娘。通ってるプリスクール(2歳児クラス)で、年齢的には上から2番目ですが、おむつちゃんは彼女だけ。一緒にプレイデートしていた4人娘の中には、まだ『真っ最中』の子がいるものの、トレーニングさえ始まってもいないのは彼女だけ。

実は今を遡ること3ヶ月前。まわりも、そろそろ。という雰囲気になっていたこともあり、一度トライしたことがありました。お友達でもある、先輩ママのアドバイスにより、ある朝いきなりパンツをはかせて(一般的にはトレーニングパンツにするとか、とりあえずパンツの上からおむつをして部屋を汚さない対策を講じるらしい)、「おしっこする前に教えてね。」と言い聞かせて。

もちろん失敗(アクシデント)は覚悟の上です。でも、その失敗体験を通じて、学ぶほうが、言葉を通じてよりも『わかる』んじゃないか。と期待して。そして失敗しても叱らない。と自分に言い聞かせて。

結果は惨敗。理由は簡単で、こちらが言わんとすることが伝わらなかった(理解できなかった)。わからないことは『できない』ということです。彼女としてみたら、何だかよくわからないけど、いつも通り生理的要求の声に応えた結果、足も服もびちょびちょになってしまった。半べそかきながら、立ち尽くす娘をトイレに連れていって、「ここに座ってするのよ。」と言ってみる。わかった? と、聞くと、一生懸命うんうん。と言ってくれる娘を見て、これできっと理解できたよね。と(今、思えば過度の期待をかけて、)凝りもせずに着替えさせたものの、同じことの繰り返し。

抑えていたつもりの感情も、繰り返されるアクシデントに(なんでわからないんだろう。。)と、つい咎め口調に。そして、その日の終わりには、ついに娘は、もうパンツをはくのも、トイレに行くのもが嫌だと言い出しました。おむつをしていたら、叱られない。ということだけが、このトレーニングから彼女が得たことだったとしたら、何とかわいそうなことをしちゃったんだろう。失敗してもいい。と覚悟を決めたはずなのに、何で叱っちゃったんだろう。自分の未熟さ、うまくハンドルできなかったことへの後悔を抱え、親にとっても、子にとっても散々な結果に終わりました。

トイレに行こうか?と、声をかけても、頑なに首を横にふる娘に、この先、どうやってもう一度、きっかけを作ってあげたらいいのかが解らず、途方にくれたのですが、これ以上無理強いさせるのはよくない気がして、とりあえずは、一旦トレーニングそのものを中断しよう。と決めたのです。

おむつライフに戻って生き生きとした娘を横目に見ながら、夫と話し合い、ママ友達や学校の先生に話を聞いてもらい、本を読んで、そして考えました。

何度も。

何日も。

そして、単純だけど、たいへんだけど、それが一番だ。と思える答えに行き着いたのです。

それは『待つ』こと。

トイレトレーニングに限ったことでなく、もう○歳になるのに。とか、他の子はできるのに。と思うことがナンセンスだとわかっているのに、「意味のない何かと」「他の誰かと」比べてしまう。「○歳までにここまでは」という育児書、「うちの子はもうxxできる」という他のお母さんの言葉に、振り回されまい。と思いながらも、ウチはまだだなぁ。。。とか思ってしまう。これは大なり小なり、親の気持ちとしては持つなというほうが難しい感情です。

でも。

「できる」ようになるその時まで『待つ』こと。親がしなければならないことは、ただ、そのタイミングが『いつ』なのかを的確に見極めることなんじゃなかろうか。と。

もちろん医学的な意味での身体、精神の成熟度というのはあるでしょうけれど、半年早くても、1年遅くても、そこに特別な意味なんてない。少なくてとも、親が我が子の成長を憂うような要素なんて、ひとつもない。ということです。

そんな訳で、この週末に再挑戦することも、用意周到に計画していたわけでないのだけれど、私の気持ちの中では、そろそろかな。と思い始めていたのは事実。それに加え、3連休だし、行くところもないし、やってみようかな。くらいの気分で、土曜日の朝、娘に、「今日はアンダーウエア(パンツのこと)はいてみる?」と聞いたところ、あっさりと「うん!」と言ってくれたので、それでは。ということで始めたのでした。

前回と同様に、「おしっこ行きたくなったら、トイレに行こうね。教えてね。」と言って開始。30分置きに、「おしっこは?」と聞いてみるものの、答えはひたすら「No」そのうち、パズルに夢中になって、あらら失敗。さて、今日はあと何回パンツ取り替えるかな。と、こっちも腰を据えた矢先、なんと、「pee-pee, potty (おしっこ。トイレ)」と言うじゃありませんか。

当の本人は、初めての経験に最初は目を丸くして、びっくり。「できたね。おしっこできたね!」と言うと、I made it! (できた!) と、ようやく、そしてとびきりの笑顔。

ぴょんぴょんと跳ねながら、I made it! と部屋中を駆け回る娘を見て、ああ、待ってよかった。と心から思えたのでした。

今回、トレーニングについての私のアプローチは、3ヶ月前と基本的には全く一緒です。でも前回は全くダメだったことが、今回はたった一度のアクシデントを踏まえて、できた。何が違うのか。考えてみたけれど、それは、やっぱり彼女自身の準備が出来ていた。それに尽きるような気がします。
具体的には、言葉への理解度が前よりずっと進歩していることがひとつ。二つ目は、頭で理解したことを、行動に移すという行為が以前より、容易にできるようになったこと。そして一度体得したこと(尿意を大脳で感知する→トイレに行く→用をたす)を、習慣として繰り返し行える。という学習機能を身につけたこと。あの時なぜ出来なかったのかが、なぜ今だったのか。がこうして考えるとよりはっきりとわかります。

「待つ」ことは、ある意味、「させる・しむける」ことよりも具体的な行為がない分、しんどかったけれど、言葉を代えて「見守る・時期を見極める」とすると、その何もアクションがない時間にも意味があるように思えます。見守ることは、愛情と忍耐が必要だし、見極めるためには、誰よりもちゃんと我が子の心と体の動きを感じ取る日々の暮らしが必要だから。

3年前、産まれたてのふにゃふにゃの、泣くことでしか要求を伝えられなかったあの小さな赤ん坊が、立って、食べて、歩いて、走って、言葉で相手を理解し、言葉で意思を伝え、頭と体を連動させて、ものすごい勢いで成長している様は、圧倒的で、感動的でさえあります。

哺乳類の中で、人間だけが、人に、人として育てられなければ、人間になれない。と知りました。(人間は狼に育てられると、狼のようになりますが、キリンや、猿は決して狼のようにはならないそうです)。トイレトレーニングの話から、話が飛躍してしまうけれど、体も心も健康な人間をこの世の送り出すための、幼児期から青年期にわたる、親と子の関わり方は、想像以上に深く、強くその後の生き方に決定的に影響を与えるものなのだと知り、昨今の事件を知るにつけ、人の親となった自分への責務の重さを感じているところです。

そうは言っても親も人の子。立派な人格者もいるけれど、たいていは、親も悩んだり、つまづいたり、間違ったり、時に子に教えられながら、もがきながら、頑張っているのが現状。それでも、きっと何かがブレなければ、子は親を越えて「人間として」育っていってくれるような気がします。
その何か。が、今回のトイレトレーニングで、身を持って学んだ「待つ」ことの中に答えがあるのかもしれない。とおぼろげながら、わかりかけてきた今日この頃。


そして。

『できた!』という達成感は、計り知れない喜びを彼女にもたらしてくれたと思います。それは他のことからは得ることのできない貴重な体験になるはずです。そして、親である私にとっても、とびきりのギフトです。
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# by sumuchef | 2008-07-08 06:11

誕生日、ありがとう!

今日7月1日は、誕生日でした。

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もうトシだからだとか、祝ってもらうほどのものじゃないとか、言ってみるけどそれは嘘だなぁ。

だってすっごくうれしかったんだもん!

妹みたいなみかりん、尊敬するお料理の師匠・沖縄のてだちゃん、苦楽を共にした元仕事仲間のおしま、学生の時からずーーっと友達のあづさ、オースティンで知り合った智子ちゃん、法子さん、さきえさん、まりかちゃん。

おめでとう。のメッセージをありがとう!! どれも心に沁みました。

誕生日を覚えていてもらえる。って、なんか、その人の心の中に、私の居場所があるみたいに思える。人生のどこかで、縁あって知り合って、お互いのキモチのキャッチボールが今でも続いているよー。って感じかな。

そして。

夕方、娘を学校に迎えに行って戻ると、なんと、夫から、サプライズのケーキとデコレーション!!

mommy, happy birthday!

娘からは、バースディソングのプレゼント。(2番はしっかり、彼女の名前で歌わされました(笑)。

おーっ。人生ってすてきじゃん!

祝ってくれたたくさんの友人と、縁あって家族になっただんなさま、娘、そして私に生を授けてくれた両親へ。

生まれてきてよかったぁ。出会えてよかった。

とてもとても幸せな1日でした。ほんとうにどうもありがとう!
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# by sumuchef | 2008-07-02 12:38

たまには仕事のこと。

先月5月のクッキングクラスのメニューです。
上からカポナータ、カルボナーラ、白ゴマのブランマンジェ。

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毎月、「何作るか?」が決まるまでが一番頭を悩ませます。予算、時間、全体のバランス、そして季節感。出して、引っ込めて、あーでもない。こーでもない。作りたくても、ここでは入手しにくい食材があったり、前菜と主菜が決まっても、デザートとのバランスがどうしてもしっくりこなくて、ぜーんぶ白紙に戻して。なんてこともしょっちゅう。

不思議なことに、いいアイデアは膨大なレシピの山に座って格闘しているときよりも、娘を学校に送った後の、大好きなSM●Pを大音量で聞いて、悦に浸ってる車の中でだったりします。

メニューが決まると、試作。
頭の中にしかレシピがない場合は、ひとつひとつの行程を順序だてて文章にしていく作業から。大枠を書き留めてから、細かい順番とか、こだわりのポイントをどこに埋め込んでいくか。を実際に作りながら編集していきます。
元になるレシピがある場合も、まずはその通りにやってみると、意外とひっかかるところがあったりします。何故、ここで塩胡椒なのか。の必然性がよくわからなかったり、弱火から中火、強火にしていく過程が抜けてる(けど気になる)とか。
それと、5年前、イタリアで料理修行をしたときに手に入れたレシピたち。トマトソースがついたり、書いてあるメモが英語だったり、日本語だったり、イタリア語だったり、言葉が追いつかず、イラストになっていたり。。。と思い出がたくさん詰まった、私の宝物ではあるんだけど、実はイタリア語のレシピはものすごくWORDY(言葉数が多くて、冗長的)。要するに。で括るとプロセスにして3つくらいなのに、10行くらいの文章になっていたりする。さすが芸術の国。飾り言葉(形容詞、副詞の類)が多いのよねえ。

ゼラチンのプラスマイナス1g。鍋に蓋をするか否か。それによって出来・不出来がどれほど左右されるか。できるだけ、シンプルに。わかりやすく。絶対手抜きしちゃいけない大事なところ、ちょっとくらい外しても大丈夫なところ。足したり、引いたり、書き直したり。そうやって、このクラスのためのオリジナルレシピが出来上がっていく。

料理学校じゃないから、難しいテクニックをマスターすることより、楽しく作って、おいしく食べて、ああ、おうちでもう一回作ろう!って思ってもらえることが何より大事だと思ってる。

こうして5月のメニューたちも、無事、産声をあげ、私の手元を離れていろんな人たちのところに旅立っていきました。

おいしい顔を見るのが好き。食べることが好き。な人が好き。おいしいことに、一生懸命な人が好き。

さ。今月もがんばりましょう♪
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# by sumuchef | 2008-06-24 12:09

トモダチ

おとなになったら、友達をつくるのはとたんにむずかしくなる。働いている女が、子供を育てている女となかよくなったり、家事に追われている女が、未だ恋愛をしている女の悩みを聞いたりするのはむずかしい。高校生のころはかんたんだった。いっしょに学校を出て、甘いものを食べて、いつかわからない将来の話をしているだけで満たされた。けれど私は思うのだ。あのころのような全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに。と。(角田光代 『対岸の彼女』のあとがきより)

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他人に自分の本棚を見られるのは、個人的には、ワードロープを見られるより、すっぴんを見られるより恥ずかしい。好きな食べ物は誰にでも、ためらいなく言えるけど、好きな作家、好きな著書、なんていうのは、初対面の人にはたぶん、、、言わないんじゃないかな。だって、そこには私の『個』みたいなものが透けて見えているような気がするから。

だから、こんなかたちで自分の読んだモノを紹介するのは、ちょこっと勇気がいるのだけれど、なんだろう。このメッセージに思い切りココロの琴線が共鳴してしまったんだよね。

まもなく3歳になる娘は、限りなく100%近くママとパパ(つまり私と夫)に身も心も預けているわけだけど、親元を離れて、自活して、新しい家族を持って、その上、生まれ、育った国を離れた今の自分は。と言うと、親よりもずっと「トモダチ」のほうが、私を理解(し)ってくれてる。もっと正直に書くと、今の私が考えたり、悩んだりしていることの中には、親には知られたくないこと、知らなくていいと思うこともいっぱいある。いつか娘もそういう日が来るんだよなぁ。と思うと、むちゃくちゃ寂しくなっちゃうけど、でもそれがある意味当たり前で、やっぱり娘には、そういうトモダチがまわりにいてくれる人生であることを願ったりします。

全身で信じられる女友達。うーん。究極だなぁ。

この続きはまた。
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# by sumuchef | 2008-06-06 13:26

2歳10ヶ月

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ご無沙汰です。

いつも一緒に遊んでるお友達のキャサリンと。なんかこのトシの子ってじゃれあってる子猫同士みたいですね。ただ走って、笑って、また走って。

実は写真は先月初旬のものなので、実際には2歳と8ヶ月くらいなんですけどね。それでも前と比べると、だ~いぶいろいろなことができるようになりました。

運動能力、言語能力、そして感情表現が豊かになって、それから女の子~。になってきた。かわいいもの、柔らかいもの、小さなもの、キレイなものが好き。毎朝着る洋服を選んで、かわいいね~。と言ってあげると、うれしそうに鏡を見に、洗面所に走っていって、自分ににっこり微笑んでる姿は、それはもぉ、babyではなく、Girlですな。それと、毎日一緒にいるから気づかないけど、写真で見ると、顔もだいぶ変わってきているのがわかります。もぉ、産まれて半年目くらいの写真見ると、コブタちゃんみたいにぷよぷよだったもんなぁ。

もぉ、大きくならんでいいぞー。って思う日も、あ~、早く成長して。と願う日もあって、親の私も一緒に小さないろいろなことに一喜一憂しながら、飛ぶような毎日を過ごしている今日この頃なのでした。
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# by sumuchef | 2008-05-23 12:44

お久しぶりです。

2歳と3ヶ月の娘です。
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なんだか最近、叱ってばっかりいます。私。

「前を見て食べなさい。」
「ちゃんと座って。」
「手じゃなくてフォークを使って。」
「コップは逆さまにしないで。」

わずか20分足らずの朝ごはんの会話。楽しい貴重な食事の時間。のはずなのに。

食事のマナーはきちんとしてほしい。という気持ち。それにプリスクールのある日は時間に追われて、つい「早くしなさい」が出てしまう。。。

学校に送って、ほっと一息ついた帰りの車の中で、ものすごーく反省するんですが。

もう赤ちゃんの域は完全に脱して、幼児となりつつ娘。私流に言い換えますと、猛獣→動物→人間というPhaseのちょうど人間にちょいと足がかかったあたりにおります。つまり、独り相撲のような会話が少し、インターアクティブになって、意思の疎通が言葉を通じてできるようになったところです。

これはものすごい進歩で、親としてはもちろんですが、人が成長する過程として観察してもかなり感動的なものだったりします。

が。

当たり前だけど、一夜にしてコミュニケーションができるようになる訳ではないのであり。

なのに、わかってはいるけど、多少できるようになると私も言葉でわからせたい。と思うし、片や娘も、いろんなことを伝えたい。と言葉を発しているのですが、これがさぁ、ぜーんぜん伝わらない。わかってあげられない。(ことも多々あり)

辛抱強く、聞いてあげねばなぁ。と思う。彼女はきっとむちゃむちゃがんばっていると思うから。家では日本語、学校に行けば英語。頭の中はいろんな言葉がぐるぐる回って混乱しているに違いない。

わかっているのに。この世で何よりも大切な娘なのに。 伝わらないことに癇癪を起こして泣く娘に、ため息が出ちゃう。 (勘弁してくれ。。)と思う自分がどこかにいる。

で、安らかな娘の寝顔を見て、超自己嫌悪。

そんな毎日の繰り返しだけど、それでもやーめた。と言わないでいられるのは、家族のサポート、愚痴を聞いてくれるまわりの友達、遠い日本や外国に住んでるずーっと昔からの私を知ってる友達、そして健康でまっすぐなひまわりみたいな娘の笑顔のおかげです。

さ。明日も頑張ろうっと♪
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# by sumuchef | 2007-11-15 13:53

たまには娘のこと

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先日2歳になった我が娘です。

今まで、自分も含め、意図的に人物画像というものを一切公開しなかったのですが、ちょっとした心境の変化。というほどでもないけど、まぁ、いいかなぁ。という気分になったところなので。

自我が芽生え始め、好きなこと、嫌なことがはっきりしてきます。なのに、語彙があまりにも少なくて、伝えたいことが母親である私にわかってもらえないと、思いっきり怒りの感情を爆発させます。

人の心を思いやる。とかいうウツクシイ話ではなく、こっちも必死で、彼女の言いたいことを推測します。経験値でわかることは確かに他の人より多いけど、それでも完全ではない。ああ、今までの人生において、こんなに他人(自分以外)の気持ちを真剣に慮ったことがあるだろうか。。。絶対にない。

わかってもらえない娘。わかってあげられない私。それぞれにストレスを抱え、最後は泣きじゃくりながら、胸に飛び込んでくる娘を、感情の鎮まるまで抱きしめてエンド。

こんなことが、日に何度となく繰り返されると、1日の終る頃には精も魂も尽き果て、抜け殻のようになっている私。かたや娘はどんなに泣こうが、5分後には一点の曇りもない笑顔で、新たな好奇心を全開に、驀進中。

いやはや。人間を育てるとは楽じゃないっす。
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# by sumuchef | 2007-08-07 13:35
今朝、1月12日。 最愛の猫、すむが天国に旅立ちました。享年18歳 。静かに、眠るように逝きました。

彼女の存在は、私の人生の深い部分でつながった「家族」そのものでした。

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私の人生につきあわされて、千葉、東京(引越し3回)、果ては、アメリカ(引越し3回)までやってきたすむちゃん。若かりし頃は野良猫あがりの気の強さと、敏捷さがウリでしたが、最後の3年くらいは左前肢の脇下に水がたまる原因不明の病気にかかり、病院嫌いのすむのために、夫と私が1ヶ月に一度くらいづつ、注射器で抽出してました。でも、その他はいたって健康で、お尻の始末もよくて、食欲も旺盛、性格も温厚を絵に描いたごとく穏やかで、1歳半の娘がどんなに手荒いことをしても、じーっと丸くなって我慢しているできた猫でした。

東京でひとり暮らしをしていた頃は、帰りが深夜になることも多く、そんなとき、まっくらな玄関でじっと私の帰りを待っていてくれるすむの存在は私の心の大きな支えでした。仕事でコケたとき、人間関係につまづいたとき、男にフラれたとき、親とけんかをしたとき、落ち込んでいる私の側でずっと寄り添っていてくれた、あの優しい緑色のまん丸の瞳と、抱きしめた私の手のひらをざらざらの舌で労わるように舐めてくれたあの暖かさにどれほど慰められたことか。

そしてすむは、私のたくさんの友人にもほんとーかわいがってもらいました。日本で、ここテキサスで、この訃報を聞いて、一緒に泣いてくれた友達の心に救われている私です。

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、私のHN(すむシェフ)、HPのタイトル(すむちゃんちの食卓)、そしてメールアドレス(tomosumu) はみ~んな彼女の名前からもらったもの。

もっと抱きしめてあげればよかった。と思います。
もっと優しくしてあげればよかった。と思います。
最期の最期の瞬間に一緒にいてあげたかった。と思います。
昨夜の夕食のパスタに入っていたチキンを、あげればよかった。と思います。

もう体は冷たく、固くなってしまったけれど、抱き上げるとすっぽりと腕の中に納まって、喉をなでてあげたら、ゴロゴロといいそうな、そんな安らかな寝顔です。

最期の最期に何を見てたの?
悲しかった?
淋しかった?
どこか痛かった?

わかってあげられなくて、ごめんね。すむちゃん。
一緒にいてあげられなくて、ごめんね。

愛するものを失ったとき、それが人であれ、動物であれ、残されたものはその存在の大きさに改めて気づかされるのでしょう。

すむちゃん。
また会いたいな。また会おうね。
あの世でもこの世でも、どんな姿になっていても。
いつか会えたら、きっと私を見つけてね。
私もきっとすむちゃんを見つけるから。
縁あってめぐり会えて、一緒に生きてくれてありがとう。

ほんとうに、ほんとうにありがとう。すむ。
大好きだったよ。

あなたを愛してくれた人たちの心の中で、すむがずっとずっと生き続けられますように。
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# by sumuchef | 2007-01-13 14:07

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

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2007年が明けました。

突風にさらわれるが如く、ものすごい勢いで過ぎてしまった06年でしたが、好きな仕事、愛する家族、大切な友達の存在がいつも、どんなときも自分の存在を支えてくれたことを改めて感謝しています。

アメリカでの生活も7年目に突入します。異国の地ではあるけれど、仕事、家族、そしてここで知り合えたたくさんの友達は、毎日を重ねていくうえでなくてはならない大切なものです。

そしてその反面、時間を経ても距離を隔てても、尚変わることなく私のことを受け入れてくれる日本の両親、兄弟、そして友達もかけがえのない私の宝です。

で。今年の抱負。

時間は「できる」のではなく「作る」ものだとまわりで頑張ってるたくさんの友達から学びました。

其のイチ:この場でもうちょっとちょくちょく、自分と向きあえる時間を作るようにしていきます。
この目の回るような慌しい毎日はきっと年が明けても変わらずに続いていくと思うのですが、今年はそれに溺れないよう、もう少しだけ努力してみたい。でも私が元気でないと、娘を元気にしてあげることができないんで、睡眠時間は死守します(笑)。

其のニ:自分が大切だと思う人達を私も自分の持てる精一杯の力で大切にしていきたい。

其のサン:娘の「今」に大事だと思うことは、まずは最優先で考える。仕事、遊びはとりあえずその次。でも我慢しすぎない。頑張りすぎない。

去年はいい年でした。今年もいい年になるよう、毎日毎日をちゃんと重ねていけたら。と思ってます。

ふつつかモノでありますが、どうか今年もよろしくお願いします。
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# by sumuchef | 2007-01-02 15:21